芥川龍之介の代表作。『羅生門』
この物語は、朱雀大路の南端にあり、平安京の正門に位置した大門の羅生門にて、そこで雨宿りをしていた下人と楼の内に無造作に転がっている死骸の髪の毛を漁っていた老婆とのあるやり取りで成り立っている。
芥川龍之介の巧みな人間描写によってこの下人の心の揺れ動くさまが見事に描かれており、人間の持つ悪を憎む正義の心と、その半面、盗人とならないと飢え死にしてしまうかもしれない必死な状況下においてのなりふり構っていられない思いとが交錯する様子が描かれている。
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羅生門あらすじ
【主な登場人物】
下人 ・・・ 羅生門で雨宿りをしており、途方に暮れている。物語の主人公
老婆 ・・・ 羅生門で死骸漁りをしており、髪の毛からかつらを作ろうとしている
一人の下人が羅生門の下で雨宿りをしている。
この男以外に雨宿りをしている者はおらず、門の近くに集まってくるものも居ない。
なぜならば、当時の京都では2~3年の間に地震・辻風・火事・飢饉といった災いが続いているせいか、寂れている。
それによって羅生門の修理も成されず、雨風にさらされる事によって不気味さを増しているせいか人が良ななくなっている。
ついには盗人や狐狸が住み着いてしまい、終いには引き取り手の無い死体を捨てにくる人も居るため、より一層気味悪さが際立っている。
下人は右頬にあるニキビを気にしながらぼんやりと雨が降るのを眺めている。
下人は途方に暮れ悩んでいた。
このご時世、情勢が悪く仕事も無いため、盗人にでもならなければ生きてく事が困難になってくる。
しかし下人には盗人になるために必要な、積極的に肯定できるだけの勇気が持てないでいた。
ぼんやりと雨が降るのを眺めていながらも、下人は雨宿りをする為にも羅生門で一晩過ごそうとした。
ちょうど幸門の上の楼へ昇る梯子を見つけ、腰に下げた聖柄の太刀が鞘走らないように気を付けつつ上の階に昇る。
楼の内には噂に聞いていた通りいくつかの死骸が無造作に転がっていた。
男女も分からぬほど腐敗が進んでいるため、かつて生きていたものであるとは到底思えなかった。
下人はその強烈な腐乱臭に思わず鼻を覆おうとしたが屋根裏部屋に居る老婆を見つけてしまい、次第にある感情によって鼻を覆う事すらも忘れていた。
その老婆は檜皮色の着物を着ており、背の低く痩せて白髪頭のまるで猿のような姿だった。
老婆は右手に松明を持っており、何やらその明かりを頼りに転がっている死骸から長い髪の毛を一本ずつ抜いていた。
下人は恐怖と好奇心によって心を動かされていたが、徐々に恐怖が薄れ、代わりに老婆に対する激しい憎悪の感情が湧いてくる。
老婆に対する感情というよりも、世の中全ての悪に対する憎悪の感情が増してきた。
下人は両足に力を入れ、梯子から上に飛び乗り老婆を罵る。
老婆は驚いたが、下人の問答に応えるべく喉から「かつらを作ろうとしている」と、喘ぎ喘ぎ声を発する。
下人は老婆のその言葉を聞き、失望をすると同時に徐々にある種の勇気が湧いてくる。
ついに下人は自身を肯定する事が出来、老婆の着ている着物をはぎ取り手荒く蹴倒す。
勇気が出た下人は漆黒の闇夜の中、強盗を働きにその場を後にした。
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読後の感想
初めて羅生門を読んだのは中学生の頃で、読書感想文を書くために読んだ事がきっかけでした。
ページ数が少ないという事もあり、国語が苦手だった自分にとっては読みやすそうな題材かなと、そんな風にも思ってました。
ただ、実際には冒頭でも話したように芥川龍之介の人間の心情の移り変わりを巧みに描いており、社会情勢や人間を取り巻く状況によっては人は勧善懲悪の世界では図りしえない状況にも立たされてしまう事となり得てしまうようにも思わされます。
少なくとも日本で生活をしている自分にとっては満足とは行かないまでも最低限の暮らしは保障されている訳で、盗みなど働かなくとも生きていく事も出来ます。
しかし一方で悪事を働かなくてはならない状況下を強いられた場合、人は正義を振りかざして悪を懲らしめるといった王道ストーリーのような倫理観を持ち合わせる事は決して容易ではないのかもしれません。
この物語の主人公である下人も自身の正義感を振りかざしつつも客観的に見てしまえば老婆と同じ事をしてしまっているのである。
傍から見たら倫理観という基準が自分が生きている世界と異なるものであるように捉えてしまいますが、実際にそうならなければならない状況下に立たされてしまった場合、果たして自身の正義と言った基準というものはそれが正しいのかすら判断する事が出来ないようにも思える。
人間は神では無いので主観的なものの見方をする事によって知らず知らずのうちに間違いを犯してしまっているのかもしれない。
小説の場合、こうして客観的な第三者の視点から物語を眺める事が出来るので、そう言った意味でもある種の冷めた視点で人間観察をする事が出来るようにも思えます。
いずれにせよ、善悪の判断基準というのは個々の判断に委ねられてしまうところもあるようで、それゆえ人間の不確実な心情というものが如実に現れているものかもしれません。
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