デッサン教室に通う事が難しいため、なるべく手元にあるモノを元に絵を描く練習をするという意味でも写真を模写するという方法があります。絵を描く事が好きな方は一度や二度のみならず経験があるかと思われます。
模写をする上で好きな作家さんの作品だったり、漫画のワンシーンを真似て描く事で絵を描くための勉強になりますし、個人でも出来る絵の勉強・上達方法であるとも言えます。
しかし、僕自身美大予備校に通った身としてはデッサンの授業の中で写真を元にデッサンをした事はほとんど無かったように思えます。
今でこそ参考資料として使ったり、実際にカメラで撮影した写真を元にイラストを描く事が増えてきましたが、「デッサンをする」という観点でみたら「最初から写真を元にデッサンをするという事はあまり良い事では無いのか?」と、個人的に思えてしまいます。
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そもそもデッサンとは?
Wikipediaによりますと、デッサンとは以下のようなものであると記述されています。
素描(そびょう、すがき)、デッサン(フランス語: dessin)、ドローイング(英語: drawing)とは、物体の形体、明暗などを平面に描画する美術の制作技法、過程、あるいは作品のこと。これに準ずるものを指す場合もある。これについては後述する。
引用元:Wikipedia
割とザックリと書かれていますが、デッサンと言うのは単にタッチの描き方であったり、遠近法や透視図法、人体の骨格標本等の知識を元に鉛筆や絵筆などを用いて絵を描いていくものというように解釈をしています。
デッサンの対象となるモチーフをよくよく観察し、その上で技術を習得していくという意味でデッサンを学ぶという事は大事な事となってきます。
例えばこういったデッサンを理解しているのとそうでない人の絵を見比べた絵を実際に見比べてみますと、やはり基本が出来ているせいか絵としてしっかりと成立しているという事もあり、落ち着きのあるた佇まいのある絵となっています。
一方でデッサン力が不十分であった場合、どこか捉えどころのなく、ちぐはぐな絵となりがちとなってしまい、万人に受け入れがたいようなものとなってしまいがちです。
また、デッサン力のある人は敢えてその絵を崩して描く事をしてもその絵からはオーラが違うという事が見て取れますね。
ピカソを例に挙げてみると、幼少期の頃からすでに絵の才能が開花しており、目を見張るような仕上がりでした。ピカソがあまりにも絵の才能が特出していたため、画家であったピカソの父親は絵を描く事を諦めたという逸話があるほどです。
その後はキュビズムなどピカソ独自の手法を用いる事によって後世に名を遺すほどの芸術家として知れ渡っていますが、基本となるデッサン力があったが故に、晩年の作品まで偉才を放つものとなり得ています。
写真を元にデッサンをしてはいけない?
これは必ずしも「NO」であるとは言い切れません。
なぜならばハイパーリアリズムなどといった、写真を元に本物と瓜二つのように描く技法があり、近年ではそのようなマーケットが開拓されているほどの人気ぶりでもあるからです。
最近ではYouTubeなどで芸能人や有名女優の写真を本物そっくりに仕上げる動画がアップされていますからね。再生回数もかなり多いのでご覧になった事があるという方は多いのではないでしょうか?
また、写真がまだ発明されていない時代ならまだしも、スマホやデジタル一眼レフのカメラで撮影された写真というのはそれだけで絵画として成り立ってしまうような高機能を兼ね備えていたりもします。
それゆえ、写真から得られる情報というものも比例して質も上がってきています。
他にも、著作権フリーの写真サイトを見てみますと、自分では到底撮影できない風景であったり、自分のイメージを具現化したような画像が落ちている事があります。
そう言った意味でも、写真を用いるという事はイメージを膨らます上での参考としてなり得るものであるとも言えますね。
写真を元にした模写だと、表現方法が限られてしまう
先ほど例に挙げたように、あたかもコピー機を通したような写真そっくりに描く技術があればそのようなスキルとして認知される事でしょう。
また、そういった市場の第一人者として君臨する事が出来れば認められやすいという事もあります。
それに、写真みたく本物そっくりに絵を描ける技術があるだけでも世の中の半数以上の人は称賛の声を発する事になるでしょうし、それだけ目を見張るスキルでもありますからね。
とは言うものの、今まで見た事のないものを作り上げたり、人の想像力が生み出す芸術の方がどちらかと言えば個人的には面白みがあるように思えていまいます。
やはり、「それなら写真でもいいじゃん」という声が少なからずある限り、確かに技術としては目を見張るものの、大人数の人達が目指すほどの技法であるとは言えないようにも思えてしまいます。
自由で独創性のある表現である事の方が少なくとも差別化を図るという意味でも表現の幅も広がってきますし、何よりも個性が目立ってくるものでもあるからです。
著作権を気にしなくてはならない
自分で撮影したものであれば一部の例外を除いて写真を使う事は特に問題ありませんが、(ただし肖像権などもあるので注意が必要)写真には撮影者の著作物として扱われるため、むやみやたらにネットで拾った画像などを模写する行為は気を付けなくてはなりません。
ネットに描いたものをアップせず、練習用として自分の技術を高めるために模写をするというのであれば全然問題ではありませんが、それをネット上にアップする事で著作権に触れてしまった場合、後あと問題になってしまう事に繋がりかねません。
著作権は親告罪のため、ネットで拾った画像を模写し、それをネット上にアップする行為は指摘をされない限り罪に問われるという事にはなりませんが、やはりマナーとしてそのような行為はあまり適切であるとは言えません。
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ハイパーリアリズムは現代アートの文脈からやや外れている
今でこそいろんな場面であたかも写真のような絵を描く人が増えてきていますよね。
上の例で挙げたような方同様、アート専門のサイトを眺めてみてもあたかも写真そっくりの絵を描く作家さんも見受けられます。
しかし一方で、そのように写真そっくりに描く手法と言うのはそれだけで市場として出来上がっているものの、現代アートの世界では強い批判を受けがち。。
「それなら写真で良いのでは?」
「没個性的だ」
など、新たなものを生み出すものとしてアートが捉えられているものに対して、写真をそっくりそのまま鮮明に書き写す手法というのは面白みにかけてしまうような、そのような印象を受けてしまいます。
今でこそ様々なメディアでも取り上げられているものの、アート史の文脈からやや離れているジャンルであるという事は否めません。
とはいえ、ハイパーリアリズムの熱烈なファンも一定数いるため、ある意味独立した市場が形成されているという意見もあります。
ケースバイケースで写真を使うのがベター
ハイパーリアリズムのみで今後制作を続けていくという意思があるのであれば終始写真を元に絵の制作に取り組む必要もあるでしょう。
しかし、漫画を描いたり漠然としたキーワードといったイメージを元に絵画やイラストを描く方向で今後やるのであれば、やはり実際にあるモノを観察しながら『観察力』を養っていく必要はかなりあります。
漫画家を名乗っているにもかかわらず、ある特定のポーズでしか絵が描けないのであれば話になりませんからね。イラストレーターとして活動をしていく事も然りではあります。
しかし、実物を観察しながら描くという事には限りもあります。
仮に風景画を描く際に何度も同じ場所に足しげく通うだけでも一苦労ですので、そう言った場合カメラで風景を写真に収めておくことで、後で家で描くなどをした方が労力的にもだいぶ負担が減りますからね。
写真を元に絵を描くという事は、このように長期間足を運ぶ事無く描く事も出来ますので、そう言った箇所が写真を元に絵を描く最大のメリットであるとも言えます。
まとめ
デッサン力を付けるという意味では、個人的に写真を見てデッサンをするという事はあまりおススメではありません。
実際に目で見るという事は、手で触ったり匂いを嗅いでみたりと、五感を使って情報をインプットする事が出来、写真で見るよりも得られる情報量が多いのでデッサンの幅・奥行きが広がってくるからです。
やはりどうしても2次元の画像から2次元のものに仕上げていくという事は、それ以上に広げていく事が難しいのでどうしても『技術』のみが際立って目立ってしまう事にもなってしまいかねません。
もっとも、実際にモチーフを並べてデッサンをするにも限られてしまいますし、写真で無いと捉えきれなかった一瞬もあるので、そう言った意味でも写真はかなり有効的なアイテムであるとも言えます。
ハイパーリアリズムなどを目指したり、参考程度に写真を使うという事には個人的に賛成しますが、漫画やイラスト、あるいは絵画を描く際に創造力が必要となってくる場面が多い場合はあくまでも参考であったり、練習用として写真模写をする事が望ましいと思っています。
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